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2009年10月29日 (木)

菊池クン、キターーーーーッ!!!

やっぱりドラフト見ちゃった(^-^;

菊池クン、西武が交渉権獲得です!
ナベQ監督、スゴイ!
西武は清原サンとか松坂クンとか大物当てますね~。
菊池クンの会見の様子からすると、もう西武に入るつもりになってくれてる感じでしたが・・・。

野球ブログと間違われるといけないのでこのへんで(笑)






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2009年10月28日 (水)

悪あがき

今日は恒例の三者会談でした。
同年代の女性3人が集まれば、「アンチエイジング」の話題は欠かせません。
今日もその話になりました。
あっちゃんが言うには、一か月にかかる化粧品代が一番高いのは40代、50代なんですって。

先日美容師のたくじぃさんと「お金持ちになりたい」という話をしていて、たくじぃさんに「どれくらいのお金持ちになりたいですか?」と聞かれたときの私の答え。
「アンチエイジングの化粧品、試してみたいと思うものがためらわずに買えるくらいのお金持ちになりたい」。
たくじぃさんに笑われてしまいました。「切実だな・・・」と思ったのかしら。
とにかく、少しでも若くキレイでいようと努力するのにはお金がかかるんです!!!(努力してもたいして変わりないんだけどさ・・・)

私も20代30代のときは、ドラッグストアで売っているような化粧品を使っていたのだけど、39歳のある日、鏡を見てがく然として以来、化粧品にはお金かけてます!!!
20代30代はまだピチピチでしょ。60代過ぎると、いい意味であきらめられるようになる。40代、50代が最後の悪あがきなんだって(20年間悪あがきするってのも考えてみればスゴイ)。あきらめ・・・悲しい言葉だわぁ。悪あがき・・・もっと悲しい言葉だわぁ。
でも、モエなんかもやっぱりできる範囲で母親にはキレイにしていてほしいみたいで(友だちのママがみんな若いので・・・)、「ママ~ネイルかわいかったのに、なんで最近してないの?」とか、CM見て「ママもこの化粧品使えば?」とか言います。
そりゃぁママだってキレイになりたいのはヤマヤマなのよ!

しみじみ、努力じゃどうしようもないことがあるって実感する今日このごろ。
女優さんが「特に何もしていません」とか、「40代になるのが楽しみでした」とか、「今の年齢を楽しみたい」とか言うけど、絶対ウソだねっ!!!女優さんはプチ整形とか、エステとかできるからいいわよ!

・・・な~んて、醜いことを書いてしまいましたわオホホ~(笑)

でも、私思ったんです。
5~6年前、心身ともに具合が悪かったときには、「キレイになりたい」なんて思わなかったんです。そんな気持ちの余裕はありませんでした。

だから、「キレイになりたい!!!」とか「若返りたい!!!」って思うということは、「生きる意欲」があるということだと思うのです。
そして、やっぱり好きな人がいるということ。
まさやんに会いたい!と思うから、キレイになりたいって思うワケで。もしまさやんがいなかったら、キレイになりたいなんて思わないカモ・・・?

だから私の場合、まさやんが歌い続けてくれる限り、60代になっても70代になっても悪あがきは続くのです・・・。






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2009年10月27日 (火)

ウソだと言ってよ、ジョー!!!

最近野球ネタばかりですみません・・・

城島サンが阪神入りと聞いてちょっとショックでして・・・

絶対ソフトバンクに戻ると思っていたので・・・。ソフトバンクは背番号だってずっと空けて、城島サンが戻って来るの待ってたのに。

まぁいろいろな事情があるのでしょう。城島サンも悩んだんだろうな。
そしてもちろん年俸とか契約金とかお金の問題もあるでしょうけど・・・。
やっぱり「あの」阪神ファンの声援の中で、そして甲子園で野球がしたいっていうのは、野球選手なら誰でもあるのかもしれませんね。以前アレックス(三都主)がエスパルスからレッズに移籍したとき、あの熱狂的なサポーターの中でプレーしたいって言ってたのと同じで、選手冥利につきるんでしょう。もちろん調子の悪いときにはめちゃくちゃ言われるのも覚悟の上だろうけど。

阪神は今も好きですけど、クリーンアップがみんな移籍してきた選手というのもちょっと複雑なものがありますよねぇ。私が一番好きだったころは、バース、掛布、岡田だったからなぁ。プロだから移籍は当たり前だし、生え抜きだろうが移籍してきた選手だろうが、そのときそのチームのために活躍してくれるならもちろん応援しますけどね。
西武を好きになってみて思ったのは、西武はナカジをはじめ、おかわり君とか岸クンとか、西武で発掘されたり育てられたりした選手が多いんですよね。ナカジは、松井稼頭央がメジャーに行ってしまったときのためにという、初めからそういう構想で、まだ松井がいるときからずっと計画的に育てられて、そして今のスター選手になったそうです。最初からスターだったわけじゃなくて、ずっと二軍で指導され、努力してきたから、今のナカジがあるわけで。
すでにスターになってる選手を獲得するのは効率はいいけど、ちょっとつまらないなぁ。

しかし、今のセ・リーグは巨人の独走態勢に入っているので、阪神が強くなるのはプロ野球を盛り上げるためには必要なことかもしれません。城島サンにはがんばってもらいたい。
矢野サンや狩野君が心配だけど・・・。狩野君なんてせっかく今年出場回数増えて伸びてきたのにねぇ。


ところで、昨日ラジオで、「来年の中島選手の登場曲(ホームでバッターボックスに入るときにかかる曲)を募集しましょう」などとアナウンサーが言ってましたが。
今までナカジの登場曲はGReeeeNの「キセキ」で、これは観客がみんなで合唱して非常に盛り上がるので、一度曲を変えたものの「お客さんが喜んで盛り上がってくれるほうがいいから」ということでまた「キセキ」に戻したんです。
でも来年から変えるというのなら・・・
「真夜中のBoon Boon」はどうかしらん!?
野球がモチーフになってるし、「かっせー!」も入ってるし、サビのトコ、ライブのときみたいにタオルぶんぶん振って盛り上がれるじゃん?
そしたら毎回西武ドームのときは観に行っちゃう(笑)

でもあの曲は、ナカジみたいな若いイケメンのスター選手より、ちょっとくたびれてきたオッサンっぽい選手のほうが合ってるか・・・。





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2009年10月22日 (木)

コドモにはわかりません!

ゆうべのCS2ndステージの第一戦、すごかったですねーーー!!!(あ、もちパ・リーグね)
途中までは、やっぱりチャンピオンチームでも楽天の勢いは止められないの!?という展開だったのに、最終回に逆転満塁サヨナラホームランって!日ハムにとってはこれ以上ない勝ち方でしたね~。
マスコミがノムさんを面白がって楽天寄りの報道ばかりするから、なんか私、楽天キライになっちゃったのよねぇ。梨田さんも別に好きじゃないんだけど、やっぱり日ハムが日シリに行くのが妥当なセンかと。


な~んて言ってますが、実はゆうべは途中は野球じゃなくて「ヘキサゴン」見てました(笑)
ホントはあの番組好きじゃないんだけど、圭ちゃん出てたんだもん♪
圭ちゃんはカッコよかったです!相変わらずシュッとしてて、礼儀正しくて、出しゃばらないし、マジメでヘンにウケを狙おうとかもしないし(つまりバラエティに向いてない・笑)・・・
なにしろドリブルもシュートもカッコよかった♪クイズはまぁ、アレですけど(笑)
でも何かの才能があるヒトはクイズとか勉強なんてできなくてもいいと思います。むしろ大多数の人は特別な才能がないから、勉強しといたほうがいいワケで。
バスケの才能があるヒトは、人としての常識さえ持っていれば、「バスケ取ったらただのクズ」でいいんです(シカオちゃんかっ!)

しかし圭ちゃんはもしバスケ取ってもルックスも性格も素晴らしいしね~。
モエが言うには、「ママが好きな人の中で、圭ちゃんだけはママが好きなの理解できる」そうです。どういうこっちゃ!
ま、まさやんのカッコよさはコドモにはわからないよね・・・。

カッコよさにもいろいろあると思うんですけど、やっぱり女の人にモテる男の人に共通して言えるのは「才能がある」ということだと思うのですよ。ホラ、常盤貴子の結婚相手の人も、ルックスは・・・だけど、才能がある方だって話じゃないですか。あ、私は才能があってもイケメンじゃないとイヤだけどね。

今朝、モエに力説したんです。
ママもイケメン君大好きだけどさぁ。顔だけじゃダメなの!やっぱり男の人は才能がないと!
まさやんがこれだけ女子(オバサン含め)のハートを射止めているのは、やっぱり才能があるからなのよ!でもまた才能だけじゃここまで人気が出なかったと思うの!
やっぱりルックスも大事なの!(と言ったら怪訝そうな顔をしたモエ)ただイケメンというだけじゃなくて、人柄を醸し出す雰囲気とかギャップが大事なの!ギャップっていうのはたとえばね、
シュッとしてカッコいいかと思えば、オッサンくさかったり。
オトナっぽいと思えば、少年っぽかったり。
色っぽいと思えば、無邪気だったり。
えーとそれから・・・・・・

するとモエは、
「ピュルピュルピュル・・・・・・・」と言いながら、私に向かって「リモコンで早送り」の仕草をして、「ゴメン、もう学校行くから」だって・・・。
あ~んもっと語りたいのに・・・・・。





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2009年10月20日 (火)

体育大会@日産スタジアム

今日は横浜市の6年生の体育大会があり、見に行って来ました。

朝、モエが起きてくるなり、「気持ち悪い・・・吐きそう」と。
吐き気止めを飲ませたけど、朝ごはんも食べられず。
でもどうしても体育大会に出たいと言うので、先生にワケを話して、私は車で行っていつでも連れて帰れるよう待機することに・・・。

でも行ってみたら全然元気そうでした・・・まったくもう。まぁよかったけど。

体育大会の会場は、我がホームグラウンド(笑)日産スタジアムです。
・・・って、もう1年以上行ってなかった気がする!!!早くまたサッカー観戦に行きたい!

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子どもの競技、スタンドからなんて遠くて見えないからつまんないだろうと思っていたけど、意外と面白かった。
ソーラン節の踊りも壮観でした。各学校で色とりどりのハッピ作ってたりして・・・。
私はマリノスのメガホンとか応援スティックを持って行こうと思ってたんだけど、モエが「ママ、お願いだからやめて」って言うのでやめました。でもこういうのはスタイルが大事なんだけどなぁ。マリノスユニ着てもよかったくらいよ。
リレーになると、ママたちの熱も入りまくりです。モエの学校は2位でした。

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あ~楽しかった。
私ってつくづく運動会とかスポーツ観戦好きなんだわ。
もちろん、イケメン君探しもだけどね。

帰りはみんなを車に乗せて帰って来て、タリーズでお茶しながらまたしゃべりまくりました。

楽しい一日だったな。

これで6年生の行事もあとは文化祭くらい。
モエの小学校生活ももう残り少なくなってきました・・・。

子どもが大きくなると楽になるけれど、ちょっぴり寂しくなりますね。
あとはモエがどんな男の子を連れて来るかを楽しみに・・・





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2009年10月19日 (月)

MRA結果

今日、先日のMRAの結果を聞きに行きました。

再発を告げられた10月5日から、この19日までの2週間が本当につらかったです。5日に再発がわかったとき、S教授に、「でも私の腫瘍は良性なんですよね?」と聞いたら、16年前に初めて発覚したときにはすぐに「良性です」って言ってくれたのに、今回は「もっと詳しく検査してみないとわからないんだけどね」とおっしゃったのです。
そんなこと言われて、ネットでいろいろ調べたりしていたら、「悪性になったかも・・・」としか思えなくなってしまって・・・。

いろいろなことを考えました。最悪のことも。
怖くて、悲しくて、何もする気が起きませんでした。何かを考えては涙が出てしまいます。それでも、周りの人、特に子どもには悲しい顔は見せられません。元気なフリをする、これがまたすごく苦しい。わぁわぁとわめき散らせるものなら少しは楽なのでは、などと思いました。
私は、もし自分の命が限りあるものだとわかったときどう生きたいか、どう死にたいか・・・ということは、脳腫瘍のことがなくてもわりといつも考えてきました。絶対に平静を保ってみせる。人には苦しんでる姿は見せたくない。静かに強くありたい。そう、「8月のクリスマス」の寿俊のように。ずっとそう思ってきました。でも、私には無理だとわかりました。

だから、今日MRAの結果を聞きに行くのもとても怖かった・・・。てっちゃんがいっしょに行ってくれました。

結果は、腫瘍自体が悪性になっているとかそういうことではないらしいです(でもはっきり良性ですとは言ってくれない)。でも、腫瘍に栄養を運ぶ血管ができてしまっているとのこと。確かに右側を写した画像には血管は見えないのに、左側の画像には何本も映っています。
15年前に、腫瘍に栄養を運んでいる余分な血管は塞栓術で塞いでしまったのですが、新たにまた血管ができているってこと?血管ってそんなふうに新たに「できる(というより成長する?)」ものなんだ、って初めて知りました。血管ができたから腫瘍が増大したのか、腫瘍が増大したから血管ができたのか、どちらが先かわかりませんが・・・。どちらにしても、そのような血管はまた塞いでしまわないと、腫瘍にどんどん栄養が運ばれてしまいます。
要するに私の腫瘍は、脳そのものにできてそれ自体がどんどん脳の中に広がり浸潤していく、というような悪いものではなく、脳の外にできた比較的おとなしいものなのだけれど、そこに栄養を運ぶ血管ができてしまうと、やはり少しずつ大きくなっていき、脳や神経などを圧迫してしまう、というものみたいです。

幸い、腫瘍が小脳に入り込んでいるわけではなく、圧迫しているということらしいので、生活に支障がないくらいの症状なのであれば、今は腫瘍を切り取る手術より、とにかく血管を塞ぎ、栄養を行かなくすることが先決、と言われました。そしてもしできればガンマーナイフなどで腫瘍を小さくする・・・という方法がよいとのことでした。

しかし、F教授はすでに非常勤で現役から退いていらっしゃるし、塞栓術など脳内血管治療のプロフェッショナルなドクターはS大にはいらっしゃらないようで・・・。
結局、15年前に塞栓術をしてくれたT病院のN先生のもとに戻ったらどうでしょう?とF教授に言われ、そうすることになりました。

正直、「大丈夫、まかせて下さい!」という感じではなかったのでちょっとガッカリしましたが、T病院には「脳神経血管内治療科」という脳の血管の専門の科があるので、やはりT病院で治療を受けるのが一番いいのかもしれません。F教授ももう引退されているので、経過観察ならOKでも、手術ともなると引き受けられないのだろうし、逆に誠実な対応なのかもしれません。

来月の初めにN先生の予約を取ったので、5年ぶりにお会いして、N先生の見解や、今後の治療方針などを聞いてきます。

とりあえず悪性にはなっていないだろうこと、開頭手術はしないだろうということで、少し気持ちが落ち着いて、前向きになれそうです。

来年のまさやんツアー(勝手に・・・)に間に合うように、がんばります!





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2009年10月12日 (月)

脳天気なワタシ

先週末、MRAという検査を受けました。MRIと同じ機械で血管を写すものらしいです。MRIとは違い5分ぐらいで検査終了。注射もなかったし簡単でした。技師の人に、「こないだ撮ったばかりなのにご苦労さま」って言われちゃった。
結果は19日に聞きに行きます。その日に今後の検査や治療方針を立てるらしいです。「9日に検査して19日に結果聞きに来いってことは、そんなに緊急を要するものじゃないんだよ」ってみんな言ってくれるんですが・・・。その間ずっとドキドキしっぱなしで、気分も上がったり下がったり・・・こっちのストレスのほうが身体に悪い。精神的に本当につらいです。

体調自体は特に変わったことはなく、普通に生活してるけど、やっぱり気分的に落ちているせいか、どこかに出かけようとか、何かをしようとかいう意欲が湧かない。疲れているわけじゃないと思うけど家でゴロゴロしてます。ってか、ハッキリ言って超・凹んでます!!!ポジティブにいこう!って常に努力してるんだけど・・・今回はダメだ。良くないなぁ。

ただ、体調で最近気づいたのが、というか今思うとなんだけど、左側だけすごい肩こりで、首の耳の後ろのあたりがすごく痛いんです。でも「肩凝ってるなぁ~。何もしてないのに」っていつも思ってて、時々駅の中の15分マッサージみたいなのに行ったりしてたの。実はこれも腫瘍のせいらしいです。

ライブもないし(イヤ、あるけど行けないし)、大好きなプロ野球が終わって(ライオンズ的には)ハリがなくなったのもあって、なんか一日中腫瘍のことを考えてます。
取り越し苦労しないほうがいい・・・ってわかってるけど、どうしても考えてしまいます。
私はイヤな夢ってあんまり見ないんだけど、最近は怖い夢ばっかり見ます。

しかし、再発するまで、ホントに何にも心配してなかった自分ってある意味すごい。
16年前に初めて腫瘍が見つかったときも、もちろん「脳腫瘍」なんて思ってなかった(5年前にこちらから病名を聞くまで、はっきり病名を告げられなかった。聞かなかった私もおめでたい)。最初に耳鼻科から「脳外科に行っていただきます」って言われたときは、「え、脳の病気!?」って一瞬怖かったけど、「良性だから」って言われたらすっかり安心しちゃって、そんなに深刻に考えなかった。「脳腫瘍」という病名も浮かんでこなかったんです。私ってホント脳天気だったんだね(文字通り・・・)。
東京中の病院まわって、入院して血管撮影の検査や2度にわたる塞栓術の手術して、目の手術もして・・・、それなりに大変だったけど、まだ若かったんだな、身体も、気持ちも。
退院してからは、すっかり完治した気分だったもん。毎年のMRI検査だって、全然不安じゃなかったもんな・・・。

それが再発したら急に臆病になって、気が狂いそうに怖くなっちゃって・・・。
バカだな。
どうせなら、ずっと脳天気でいたかった・・・。

16年間、何の不安もなく元気に過ごせたことは、幸せだったんだろうけど・・・。





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2009年10月 8日 (木)

私、「脳腫瘍」だったんだ・・・

私・・・「脳腫瘍」なんですね(・・って今さら・・・)。
今まで自分では「耳の奥の腫瘍」って言ってきたし、5年前にN先生に診断名を聞いたときには「頚静脈孔腫瘍」って言われて、それが「脳腫瘍」の一種だなんて教えてくれなかったもん。ってか、それまで診断名も聞いてなかったんかいっ!自分で調べもしなかったんかいっ!って自分でもツッコミ入れたくなるけど・・・。
実際「脳腫瘍」だなんていう実感もなかったんだけど、この間の診察でF教授がMRI検査室に予約の電話を入れたとき、「脳腫瘍の患者さんなんだけどね」ってサクッと言ってたのを聞いてビックリしました。「私って脳腫瘍だったんだ・・・」って。理解するの遅すぎ。

で、脳腫瘍について、けっこういろいろ調べてしまいました・・・。ネットってすごいな・・・。調べ始めたら止まらない。てっちゃんにやめなよって言われるけど、どうしても見ちゃう。
すると、脳腫瘍の中にもいろんな種類があって、以前の私の腫瘍なら良性なんだけど、再発の場合悪性になっていることもあるとか書いてるサイトもあるんです!と思えば、10年以上たっての再発はスピードもゆっくりで心配はあまりない、なんて書いてあるところもあるし・・・。情報もまちまちなので余計に心配になってしまいます。
でも普通に考えると、10年以上たって、今頃になってまた復活するようなヤツなんだから、相当しつこくて粘り強い元気なヤツだと思いません?
とにかく私の病気は「耳の奥にある腫瘍」は確かだけど、それって「脳腫瘍」なんだって!!!あらためて自覚しました!!!

人の闘病記とか読んでいると、どうしても泣いてしまいます。
本当に悪性のタチの悪い腫瘍に気に入られてしまった方にとっては、今の私の心配なんて甘いものだと思いますが・・・。
ネットで闘病記などを公開している方は、本当にみんな強いです。
でもそこまで強くなれるまでには、そうやって明るく書いている裏側では、どれだけの涙を流しているのかな・・・と考えると・・・。

脳腫瘍をはじめ、大きな病気に苦しんでいるみなさんが、少しでも元気に明るく充実した毎日を過ごせるように、祈らずにはいられません。



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2009年10月 6日 (火)

再発

というわけで、ここからはリアルタイムの日記になります。

3年ほど前(2006年)からS大に戻り、定期的に検査を受けていましたが、何の変化もなく、私はすっかり自分が腫瘍の患者であることを忘れていました。
不便なことといえば左耳が聞こえないこと、たまにふらっとめまいがする程度で、普通に元気だったし、大好きなライブにもスポーツ観戦にもどんどん行っていました。

F教授は今年の3月に引退され、名誉教授として週に一度だけS大で診察されています。
2年ほど前にたまにめまいがあることを話したら、3か月に一度の診察が2か月に一度になりましたが、MRI検査は1年に一度のままでした。
そしてF教授のすすめで、1年に一度、耳鼻科で聴力検査も受けていました。

2009年10月5日。
昨日のことです。腫瘍発覚から16年、塞栓術の手術から15年たっていました。
9月18日に撮った、一年に一度のMRIの結果を聞きにF教授のところに行きました。

そもそもは、夏に耳鼻科の聴力検査をしたときに、「左耳の聴力が落ちているし、さらに鼓膜の奥に血豆みたいなものが見えるから、お手紙を書くから至急脳外科に行って下さい」と耳鼻科の先生に言われていたのでした。
どちらにしてもF教授のところへは2か月に一度診察を受けに行くし、MRIも年に一度、夏から秋ぐらいに撮ってもらうので、恒例という感じで軽い気持ちで行ったところ・・・
MRI室に検査の依頼を出したF教授のパソコンには「腫瘍増大のおそれ」という文字が書かれていました。

それでもまさかと思い検査を受け、昨日結果を聞きに行ったら・・・。
腫瘍が大きくなっていて、小脳を圧迫しているとのこと。
素人の私が見ても、はっきりと腫瘍が大きくなっているのが画像でわかりました。
脳でも、脳幹のほうへの増大だといろいろと自覚症状が出るようですが、小脳のほうへの増大だと、自覚症状がわかりにくいらしいです。だってもともと常にめまいや耳鳴りはありますし・・・。確かに少し前から、比較的めまいが多かったりしたので、F教授にも訴えてはいたのだけど、あんまり取り合ってくれなかったし、私自身もあまり気にしていませんでした・・・。

「再発」・・・。
ただでさえ、15年前の治療のあと、左目のまぶたが少し閉じてきてしまったり、喉がむせやすくなってしまったり、左耳が聞こえなくなってしまったりの後遺症でイヤだったのに。
もっとも、当初は左耳が聞こえないのは腫瘍のせいではなく、別の病気だと脳外科では言われていました。腫瘍は聴神経からは遠いところにあるって。でも昨日F教授ははっきり言いました。この腫瘍がある場所は、まさに内耳の部分なので、難聴もそのせいだって。えーーー!!!話が違うじゃん!!!腫瘍には関係ないって、違う原因だって言ってたじゃん!!!補聴器代の40万円返してよ!!!と心の中で叫びました。
この病気は16年間もの長い間続いているし、いろんな先生に診てもらったり、最初に診断してくれたF教授ではなく塞栓術の権威のN先生に治療を施してもらったり、耳鼻科と脳外科で診てもらったりと、いろいろなことがあったので、いろいろな見解があるのはしかたがないのでしょうか・・・。つくづく、ドクターによって言うことが違うもんだな~・・・と思いました。

それにしても、もう15年もの間、大きくもならずにおとなしくしてくれていた腫瘍が、こんなに時間がたってからまた動き出すなんて・・・。塞栓術をしてくれたN先生が、「10年以上たっても動きがないから、もう大丈夫でしょう」と言ってくれて、何年か前にやっと家の近くの病院への通院でよくなってホッとしてたのに・・・。

モエが一番大事な時期というのもあるし、今さらまた入院とか手術?
初めて、「この病気はずっと続いていたんだ・・・」と実感し、またこれからも、一生この病気の経過を見続け、心配しながら暮らしていくんだと思いました。
ネットで病気のことを調べたのも初めてでした。いろいろなことを知り、考えると、なんだか涙が出て止まりませんでした。
命に別状があるかないかはわからないけど、あの若いころでさえ大変だったのにまたあんなふうに病院に通ったり入院したりできるだろうか。
とりあえずモエの受験が終わってからにしたいなぁ・・・。
治療はどんなことをするんだろう。再度塞栓術か、はたまたガンマーナイフか、開頭手術か・・・。治るんだろうか?ガンのように、どこかに転移とかしてないだろうか?腫瘍が再発、増大ということは悪性になったということだろうか?
考えていると悪いほうに悪いほうに思考が進んでしまって、自分が死ぬこととか考えてしまって、そうしたら子どもたちはどうなるかなぁとか、お葬式には誰が来てくれるかなぁとか、ヘンなことばかり考えちゃって・・・。
何より、脳の組織外とはいえ頭の中に腫瘍があるというのに、ノンキに完治したと思いこんでいた自分の危機管理の意識の低さがイヤになりました。意識を高くもっていたからといってどうなるものでもないですが・・・。

まだモエには話せないでいます。せめて受験が終わるまでは・・・。





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それから11年が過ぎ・・・

1994年初めに2度目の塞栓術の手術を受け、その後は前述の多少の後遺症を除けばいたって元気に過ごすことができました。
突発性難聴にかかったときからの耳鳴りは相変わらず続いているのですが、もう慣れっこになっていてそれほど気になることはなかったし、あの激しいめまいは二度と起こることはありませんでした。

初めは3か月に一度、塞栓術をしてくれたN先生のいるK病院(何年後かにT病院に異動)に定期的に検診に行っていました。そのうち半年に一度、1年に一度、というふうに診察と検査の回数も減って行き、そのたびに異常は見られませんでした。ただ、先生は塞栓術によってもう少し腫瘍が小さくなってくれているものと思っていたようです。意外に腫瘍は小さくならず残っていましたが、毎回の検査で大きくなっている様子はなかったので、特に心配していませんでした。
旅行や、海水浴、登山、スポーツなども普通にできました。

心配性の私にしては不思議と、毎回の検査も不安はなく、もう治ったものと思っていました・・・。

その後、左目の眼瞼下垂の手術を受け、左目のまぶたも一時的にパッチリしたのですが、これは2年ぐらいでまた戻ってしまいました。目薬を差せば目がパッチリするのは、目薬に入っているビタミンのせいらしく、常に目薬は持ち歩くようになりました。まぁ自分が気にするほど人からはわからないらしいし、これはしょうがないですね・・・。

また、そのあと今度は左耳が聞こえなくなってしまいました。
ある日電話で友だちとしゃべっていて、左耳で電話の声が聞こえなくなりました。これはその数日前にHiromi Goのコンサートに行って(笑)、スピーカーの前の席だったため、大音量を聞いて、家に帰ってからも耳がガンガンしていたのでそのせいだと思っていました。そして聞こえたり聞こえなくなったりを繰り返しているうちに3週間がたってしまい・・・。
3週間たって、ようやくS大の耳鼻科に行ったら、先生にひどく怒られてしまいました。「どうしてもっと早く来なかったの!聴力はおかしいと思ってから3日間が勝負なんです。3日たって聞こえないなら、もうその聴力は固まってしまうんですよ!」
えーーー!だってそんなの知らないもん~!と思ってもあとの祭り。ステロイドの投与などいろいろな治療をしたけど、結局私の左耳の聴力は戻りませんでした・・・。
これが腫瘍と関係があるのか、それとも他の病気なのか、わかりませんでした。耳鼻科では腫瘍のせいかと思うと言われ、脳外科では関係ないと言われ・・・。違う見解を言われても患者のほうはどうしていいのか・・・。違う「科」でも、協力して議論してくれるといいのにね。耳鼻科で大金を出して補聴器を作りましたが、あまり役には立ちませんでした。

私の左耳はそれ以来ほとんど聞こえません。
片方の耳が聞こえないということ。これはとてもつらいことです。ふたつあるもののうちひとつがダメになると、全身のバランスが崩れてしまうのです。人の話が聞き取れない、呼ばれても違う方向に行ってしまう。耳鳴り、閉塞感なども残りました。人の話が聞き取れないと、人と会うのもだんだんイヤになります。よほど仲のいい友だちだと言えるからいいんですけど、学校の懇談会などで「悪いけど左耳が聞こえないからそっちと変わってくれる?」という一言を言うのって、けっこう疲れます。
五感のひとつがダメになるって、恐怖です。いつ右耳も聞こえなくなるかもしれないと思うと今でも怖いもん。
多少は慣れましたが、やはり不便なことが多く・・・。人間のからだというものはどんな機械よりも本当にうまくできているんだなぁ・・・としみじみ悟りました・・・。

腫瘍のほうは、2005年、手術から11年目の検診の日、N先生が、「もう手術して10年以上たって何も変わりないので、これから悪くなったり大きくなったりすることはまずないでしょう。ここまで来るのも遠くて大変だと思うし、今後は初めに診断を受けたご自宅近くのS大学病院に戻ってもいいんじゃないかな。F教授もまだいらっしゃるようだし」と言ってくれました。
私は初めに診断してくれたS大のF教授のもとへ戻ることになりました。
自分でもおめでたいと思うのですが、そのときに初めてN先生に自分の病名を聞いてみたら、「頚静脈孔腫瘍」とのことでした。
そのころはすでにインターネットで調べられたはずなのに、ノンキな私はもう完治したと思っていたので、その病気がどんなものか調べることもしませんでした。

ホントに、自分でもウソみたいにノンキな私でした。けっこう心配性でどちらかといえばネガティブのハズなんだけどな・・・。そんな私は、体調がいいのをいいことに、F教授のところへ行くのを延ばし延ばしにしてしまいました。

翌年、2006年5月。
久しぶりにS大学病院の脳外科に行くと、F教授はまだいらっしゃいました。
もう12年前のことですが、話をしているうちに私のことを思い出してくれたようでした。
MRIを撮りましたが異常なし。

それからは、3か月に一度診察に通い、1年に一度MRIを撮ることになりました。





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塞栓術

1993年10月。
箱根から帰って、入院しました。
S大学病院には2週間ぐらい入院しており、結果的にはそこでは何も治療せずに退院することになります。その間、いくつか検査はしましたが、大きな検査はありませんでした。

私の2つ上のイトコが眼科のクリニックを開業しているのですが、以前大学病院では脳外科にいた時期がありました(もっとも私はそんなことは知りませんでしたが)。母から私の話を聞いたイトコは、今は頭を切らなくていい方法もあるから、急ぐものでもないならすぐに決めないでもっといろいろな病院に診てもらったほうがいいと、病院に電話をかけてきてくれました。
私も、障害のあるリョウヘイが療育を始めたばかりで、長期の入院はなるべく避けたかったので、S大の先生方には申し訳なかったのですが、「他にもいろいろ話を聞いてみたいので」となかば強引に退院してしまいました。入院して頭を切る手術をした場合、その後のリハビリなどもあると聞いていたし、術前術後合わせて入院は3か月ぐらいかかると言われていました。そして腫瘍を切り取る場合にはまわりの神経に触れる危険性があり、顔面や飲み込み、左腕などに後遺症が残ることもあると聞いていたのも、もし切らなくていい方法があるのなら検討してみたいと思った理由でした。
S大学病院のF教授もその他の先生もみんないい方だったので本当に申し訳なかったのですが、自分が納得いくまで検討したことはよかったと思うし、先生方もそれを認めてくれました。

それからイトコが東京中の病院に連れて行ってくれました。こういう時医者の親類がいると本当にありがたいです。イトコがいなかったら間違いなくあの時頭を切り開いていたと思います(そのほうがよかったのかどうか、それは今でもわかりませんが)。
その当時ガンマーナイフという治療法(放射線治療の一種で、頭を切開せずにガンマ線を外から局部にだけ当てて、腫瘍を小さくしたり死滅させたりするもの)が登場し始めていて、私はそれに期待していたのですが、東大病院や他の病院でも、私の腫瘍の場所だとガンマ線が届かないという診断。とてもガッカリしました。

イトコの眼科のお休みの日に何軒か病院めぐりをして、結局イトコの紹介で都内にあるT大学病院に入院することになりました。T大学病院は以前イトコがいた病院で、脳外科のT教授は私が入院していたS大のF教授とは、同じ脳外科の教授ということで仲がよいとのこと。
そのT大学病院に、脳内血管治療の専門家のN先生に来てもらって、「塞栓術」という手術をすることになりました。「塞栓術」とは、腫瘍を切るのではなく、カテーテルで血管にコイルのような詰め物をして、腫瘍に栄養がいかなくなるようにする方法です。当時はその方法は日本ではあまり行われていなかったらしく、誰にでもできる手術ではなかったようです。

「塞栓術」の前には、血管造影撮影という検査がありました。この検査は、腿の付け根の動脈から入れたカテーテルに造影剤を流して行き、その造影剤の流れを撮影するものです。局所麻酔をして、安定剤のようなものを注射されて、ボーッとした中での検査でしたが、途中痛みで一瞬目が覚めました。終わってから朝まで動いてはいけないのがとにかくつらかった・・・。

その当時の私は、どちらかというとリョウヘイの障害のことで頭がいっぱいでした。そのころリョウヘイは新横浜のリハビリテーションセンターに隔週で通っていたのですが、それもなかなか行くことができなくなってしまったので、私はそちらのほうで焦っていました。

塞栓術は、その年の12月と、翌1994年の1月に、それぞれ5泊6日ぐらいの入院をして、2回受けました。
これも、麻酔の注射以外は痛くもなんともないのですが、終わってからは吐き気がして気持ちが悪くて、しかも翌日まで動いてはいけないのでつらかったです。何事も術後が大変でした。術後すぐはナースステーションに一番近い部屋で過ごすのですが、窓のない部屋で、昼なのか夜なのか今どのくらいの時間がたったのかわからないということがあれほど人間を苦しめるとは思いませんでした。

しかし無事に2度の塞栓術が終わり、退院してからは、普通に元気に過ごしました。
リョウヘイの療育も再開。4月からは通園施設にも入ることができ、本格的な療育が始まりました。

ただ、私の腫瘍はいろいろな神経が集まっている場所にあったので、手術の際にどうしても神経に影響が出てしまうらしく、左目のまぶたが下がって来てしまうのと、喉がむせやすくなってしまうという後遺症が残り、これは現在でも残っています。
目をパッチリさせる目薬と、喉を潤す飲み物はどこへ行くにも欠かせません!




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腫瘍発覚

あれはリョウヘイに障害があることがわかってから1年近く経った、1993年の夏の終わり、リョウヘイが3歳のころです。

ある日、起き抜けに突然激しいめまいを感じました。それまでだってちょっとしためまいぐらいは感じることはあったけれど、その日のめまいは今まで経験したことのないもので、天井がぐるんぐるん回り、目を開けていられず、激しい吐き気もしました。もちろん起き上がることさえできません。その日のうちにそのめまいが2度ほど起こり、翌日の昼にもありました。初めてのことで怖かったので、医者に行くことにしました。

そのまた1年ぐらい前に、私は突発性難聴という耳の病気にかかっていて、耳がつまるような感じを覚え、近くの耳鼻科でステロイドを処方してもらっていたことがありました。ステロイドを飲んで耳の閉塞感は治ったけれど、耳鳴りは残ったので、めまいはその関係で起きたのかと思いました。
当時お世話になった耳鼻科でもいいかなと思ったけれど、家のすぐ近くにS大学病院があり、そこの耳鼻科に「めまい外来」というめまい専門の外来があったので、そちらに行くことにしました。

めまい外来で看護師さんに、「メニエールかしら・・・だったらいいんだけどねぇ」と言われ、「え!?メニエールなんてヤだよ!っていうか、それ以上に悪い病気かもしれないってこと!?」と思ってビビりました。
いろいろな検査をしました。目をつぶってその場で足踏みをするという原始的な検査では、私は足踏みを始めた場所からとんでもなく遠い場所まで行っており、しまいには壁にぶつかりそうになったらしく「危ない!」と看護師さんに支えられました。それくらい私はバランス機能が悪かったようです。ただ、CTでも異常は見られず、「今までの検査結果だとたいしたことはないと思うけど、最後に念のため」ということでMRIを撮ることになったのです。

MRI検査は初めてでした。狭い筒状の機械の中に寝るだけで痛くもかゆくもないのだけど、閉所恐怖症ぎみの私にはつらかった!ガンガンガン、ビービービーと、ものすごい音がします。16年前だから今と違ってまだ時間も長くかかりましたが、無事撮り終えて、後日結果を聞くということで家に帰りました。

ところがその日の夜、病院から電話がありました。
「なるべくすぐに来てほしい」と言われ、翌日の土曜日の午前中にひとりで行ったら、「ご家族はいらしてないんですか?おひとりですか?」と聞かれました。てっちゃんは家でリョウヘイを見ているから留守番でした。
MRIのフィルムを見ながらドクターは「耳の奥の脳の近くに腫瘍があります。2.7cmぐらいです。すぐに脳外科に行って下さい」と言いました。フィルムには片側だけ、白い塊が写っていました。
「腫瘍?」
このときなぜか「脳腫瘍」という言葉は浮かんで来ませんでした・・・。でも、「脳外科」と聞いてなんだかとてつもなく怖いところに思えて、てっちゃんに「脳の近くに腫瘍があるらしい・・・私、死ぬのかも」と泣きながら電話したのを覚えています。
その後てっちゃんがリョウヘイを連れてすぐに病院に来て、いっしょに脳外科に行きました。

脳外科はたまたま教授のF先生の診察日でした。あとで本を見て知りましたが、F教授は脳外科ではなかなか有名なドクターだそうです。
F教授は、「腫瘍といっても良性だから大丈夫。手術して取りましょう。急ぐことはないんですが」と言いました。9月の連休に箱根に小旅行をすることになっていたのですが、それは行っていいです、そのあと入院にしましょう、と言われ、何も考えることもできず、その日は家に帰りました。

その当時の私たちはセカンドオピニオンなんていう言葉も知らなかったし、病院の先生に病気を診断され、こうしましょうと言われたら、そうするしかありませんでした。
インターネットも普及していなかったから、調べることもなく、ただ「良性」という言葉だけで安心していました。
今思うと私って極端です・・・。腫瘍が見つかったときは「私死ぬのかも?」と思いましたが、「良性」と聞いてからは、「死」というものをまったく考えていませんでした。





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2009年10月 3日 (土)

起こらなかったキセキ

西武が楽天に惨敗して、CS行きはなりませんでした。

キセキを信じてまんまるの月にお願いしたけど、キセキは起きませんでした。
今はもう何も言えません・・・

でもまだナカジにも個人タイトルがかかっているので、あと4試合、最後までがんばってほしいです。


しかしこれは、自分の楽しみはもうこれくらいにして、あとはモエの受験のバックアップに力を入れなさい!という神様のお告げなのかも・・・。

先日大学時代の友だちとランチしたときに、7月にまさやんのライブ遠征に行ったとか、毎日野球見てるとか言ったら、すごく怒られました。「もしモエちゃんが受験に失敗したらママのせいだからね!」って。
え?そうなの?(汗)
ほかのママはもっと子どもの勉強とか見てるの!?

「友だちにこう言われたんだけどさ~、ママだけ遊んでズルイ!とか思ってる?」と聞いたら、「イヤ~まぁママはそんなもんでしょ・・・まさやんのライブは行ってもいいって最初から約束してたしね」と言われました・・・。「ママが塾のお弁当作ってくれるだけですごいと思うよ!」とも・・・。
喜んでいいんでしょうか?


ところで野球はもうすぐ終わるけど、今日からJBL(バスケ)が始まったのよね・・・
バスケはテレビ放送が少ないのがいいのか悪いのか・・・


テンションの低い十五夜の宵であります・・・






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