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2010年3月16日 (火)

子どもを自立させるには・・・

昨日、ママ友のピーママとみさママとランチしたのですが・・・。

ピーママが娘のピー(リョウヘイと同い年の女子大生)と何日間も口を聞いていないと言うのです。
今までそんなことまったくなかった仲良し母娘だったのでビックリして原因を聞いてみると。
先週、ピーが夜の11時ごろ友だちを家に連れて帰る途中、電車が人身事故で止まってしまったらしく・・。ピーから「迎えに来てほしい」という電話があって、ピーママはもうお風呂にも入ってあとは寝るだけだったけど、理由が理由だからしょうがないなぁと思って、2つ先の駅まで車で迎えに行ってあげたらしいのです。
ところがピーが「ありがとう」とか「ごめんね」のひとこともなく、当たり前のようにしていたため、ピーママが「なんかひとこと言うことあるんじゃない?」と言ったらしいのですね。
そしたらピーは友だちの手前もあったのでしょう、逆に怒ってしまって・・・それ以来お互い口を聞いていないとのこと。

両方の気持ちわかります。
ピーママも翌日仕事があるし、友だちを泊めるなんてことも聞いてなかったし、迎えに行くのはしょうがないとしても当たり前のような顔をされては頭にきます。
ピーも友だちの手前顔をつぶされた、怒るならあとで怒ってくれればいいのに、と思ったのでしょう。

このようなことは我が家でもこれから頻繁に起こると予想されます。
モエの中学は小田急線沿線にあり、田園都市線沿線の我が家からは、距離的には近いのに、バスや電車で行くととても不便なのです。小田急線のK駅行きのバス停(家から歩いたら20分以上かかる)まで送ってあげれば、そこからバスで15分、そのあと電車で10分ぐらい、とすぐなんですが、そこまで送ってあげないと、最寄りの駅までバス、それから電車を2回乗り換えてぐるっと廻るので、40~50分ぐらいよけいに時間がかかってしまいます。だから4月から当分の間は、朝だけバス停まで送ってあげようと思っていました。
駅からバスの我が家周辺には、ダンナ様や子どもを駅まで車で送ってあげている友だちも多いです(ちなみにてっちゃんは行きも帰りもバスに乗ってます・・・)。

でもね~。私が小さいころは家に車もなかったし、第一「送り迎えする、してもらう」っていう発想自体がなかったから、私の実家はすごーく不便なところにあったけど送り迎えなんてただの一度もしてもらったことがありません。雨が降ろうと雪が降ろうと電車が止まろうと、自力で帰るのが当たり前でした。
今の子は、塾もおけいこ事も、ヘタすると遊びに行くのも送り迎え。中高大学生になってもOLになっても、駅まで送り迎え。私も含めてだけど親が甘やかしすぎなんですね!だから公共の交通機関での目的地までの行き方もわからないし、マナーも身に付かないんです!もしPASMOを忘れたら切符買えるのかな!?ケータイ忘れたら公衆電話から電話できるのかな!?と思ってしまいます。

送り迎えの件に限らず、子どもに生活力がない!と、受験してみてつくづく感じました。学力だけじゃなくて生活力(要するに自分で考えて行動する力)も、受験におおいに関係があるんだな~と実感したのです。
3~4年生ぐらいになったら、自分で電車やバスに乗る、自分で買い物をする、行き方なども自分で調べる、自分で持ち物やおこずかいの管理をする・・・などなど、自分で自分のことをさせるべきです。
考えてみれば当たり前のことなんですが、まぁ物騒な世の中ということもあって、私たちが子どもの時よりも、親がなんでも先回りしてやってあげてるな~と思います。
それを子どもが当たり前だと思ってしまうのは、親に責任があるんですね。昨日ピーママもそう言っていました。
塾の先生が、受験前の最後の授業のときに、「今までお弁当を作ってもらったり送り迎えをしてもらったりしたこと、そして受験させてもらえることをご両親に感謝するように」とおっしゃっていたそうですが、モエに意味がわかったかしら・・・。
これからは、ハラハラしたりイライラしたりしても一歩離れて、困ったり恥をかいたりすることを経験させ、自分で考えて行動させるように、親のほうが努力しなくちゃいけないな、と思いました。親が子離れして自立しなければ、子どもの自立はないのですね。

でも「山崎のライブのときも送り迎えはしないほうがママのためだな!」と言われそうなので、この話をてっちゃんにはしていない私なのでした・・・。





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コメント

こんばんは!
タケちゃんの言われること、わかるなあー。
私達が育ってくる間は、自家用車もなかったので
どんなに遅くなっても自力で帰ってきたしね。
まあ、今とは時代が違うというのもあったけれど。
親には極力、迷惑かけたくないなーーという気持ちはありました。
その分、心配は目いっぱいかけていましたが(笑)。

どんなに不器用でもへたくそでも、自分なりに自分のことは
やっていけるようにして欲しいな。
それと、たとえ親であったとしても「ありがとう」「ごめんなさい」は
ちゃんといえるように。
親しき仲にも、礼儀ありですから。

そういうのも、大人になっていくための大事なステップですね。

投稿: 月ママ | 2010年3月16日 (火) 20:11

>月ママさん

こんばんは~!

確かに時代の違いはありますよねぇ。物騒だし・・・。
でも、やってもらって当たり前になってしまうのは、私がやってあげすぎてたからなんだな~って反省してます。
転ぶ前から手を差し伸べてあげちゃってたかなぁ・・・。
親は手を出さずに、子供が転んで起き上がるのをただ見守る、っていうことも大事なんですよね。そして必要なときだけ手を貸してあげる。
意外とそれができない。「親」もけっこう難しいですね!
礼儀も、親があいさつしなければ子どももするようにならないもんね。それだけはちゃんと教えたいなぁ。

ところで土曜日会えるかな~?
端っこのほうにいるから見かけたら声かけてね!

投稿: タケちゃん→月ママさん | 2010年3月16日 (火) 23:57

あーほんとほんと。耳が痛い・・・笑

ほんとに最近の子に何より欠けてるのは”生活力”かもしれないですね~
そしてその原因は親にある!
あと地域の人たちの認識かなあ。
やっぱり子供が育っていくには、周りの人たちの温かくも厳しい目っていうのも
絶対必要なんだと思うんですけどね、
けっこう最近は子供がマナー違反してても注意しないで
「あそこの子は・・・親は・・・」と陰口言う陰険なパターンも
悲しいことに多い。

小さい子を電車に乗せてるとどうしても騒いじゃって白い目で見られる、
それがイヤで電車とかに乗せたことない、子供が騒げるところしかいかない、というような友達もいましたが
老若男女が使う公共の場所に小さいうちから連れてって
マナーを叩きこむって必要なんじゃないかなあと思います。

うちも、車はあったけど父親が甘やかさない人だったから
送り迎えなんてされたことなかったなあ~夜道でチカンにあったあとも・・・笑
でも、おかげで図太くなった気がする!(良いのか悪いのか)

投稿: ゆう | 2010年3月17日 (水) 09:01

>ゆうさん

>けっこう最近は子供がマナー違反してても注意しないで
>「あそこの子は・・・親は・・・」と陰口言う陰険なパターンも
>悲しいことに多い。

私も経験あります!
子どもは大人が教えてあげないとわからないことばかりだよね。
地域の人たちのつながりって大きい・・・でもたぶんモエはこの近所のオバサンたちの顔なんか全然知らないだろうな・・・

リョウヘイは小さいころから訓練会で「自家用車で訓練会に来るな」と言われていたので、バスと電車で通っていました。
親としてはリョウヘイみたいな子は車に乗せちゃったほうが楽だったんだけど。でも今は、小さいころから公共の交通機関使っててよかったって思います。

ただチカンにあうのは困るね!!!
私は、モエが小学校にあがったころ、ちょうど幼女誘拐事件とか多かったので必要以上に心配性になったかも。
物騒な時代でイヤになっちゃうよね~!

投稿: タケちゃん→ゆうさん | 2010年3月17日 (水) 23:43

おひさしぶり。
この話題、私がのらないワケないでしょう(笑)

私はあんまり思わないんだけど、まわりの先生たちは「最近の子は、学力と生活力が低下してる」ということをしきりに言ってるねぇ。
私は、みんないろんな意味での経験とか体験とかが少ないなぁとは思う。
私、子どもたちには失敗する権利があると思うんだけど、大人たちがそれを奪ってると思うんだ。失敗して、そこから立ち上がる経験をする権利。その失敗からいろんなことを学ぶ権利。
だから私は学生たちに、大いに失敗してもらおうと思ってる。
人との関係で悩んだりして相談にくると、ただひたすら話を聴いたあとにいつも思うんだ。そして言うんだ。「いい悩みだね」って。

子どもがどう育つかは、すべて大人の責任だと思う。
大人が作った社会、大人が作ったテレビ、カリキュラム、教科書、大人が作った世界の中で子どもたちは育ってるんだもん。

子どもは、大人から何かを言われて学ぶということもあるけど、やっぱり背中を見て育つんだと思う。大人たちがイキイキと、精一杯、悩んだり、くじけたり、でも逃げなかったり、それでいてちゃんと人生を楽しんで生きている生きざまそのものを見て育つんだと思う。

「ありがとう」「ごめんなさい」は言わなきゃいけないと親や学校の先生に言われたから言うんじゃない。
挨拶だって同じだと思う。
大人に求められていることは、「ありがとう」と子どもたちが言った時、挨拶がちゃんとできたときに、「やっぱり挨拶は気持ちいいね」とか「『ありがとう』って言ってくれて、うれしかったよ」とか、その時の気持ちをちゃんと伝えることなんじゃないかな。
逆に、子どもの態度とかで不愉快な気分になったときには、感情的にではなく、あくまで冷静に「そういう風にされるとあんまり気分がよくないよ」と教えてあげるとか。
そうすることで、子どもたちは、いろんなことの「意味」がわかってくるんだと思う。そしたら、誰に言われなくてもちゃんと自分の頭で考えて行動できるんじゃないかなぁ。

長くなったわりにはちゃんと考えが伝えられない・・・
読み返してみて自分の文章のひどさにがっかりしつつ、そのまま送信してみよう。

投稿: りょう | 2010年3月17日 (水) 23:46

>りょうちん

おっりょうちん!その後元気だったのかい?

イヤ、ちゃんとりょうちんの考えは伝わってるよ。
ホント、そう思う。私はつくづく反省してるよ。

モエが失敗して、先生に怒られたり、みんなの前で恥をかいたり、困ったりする前に手を差し伸べてあげちゃってたなって思うんだ。
転んで、立ち上がろうとするのを見ていられずに、事前に転ばないようにしちゃったり、転んでもすぐ起こしてあげちゃったり。
今の子って、生活力というか、「自分で考える」ということが少ない気がするよ。大人が、生活を便利にしすぎちゃったのかなぁ。
パソコンやケータイの使い方には詳しいけど手紙は書けなかったり、スーパーでは買い物できるけど八百屋さんでは買い物できなかったりね。
子どもだけじゃなくて大人もそうなってるよね。

今日の夕食のときにね、りょうちんが↑で言ってる場面があったの。
リョウヘイはいつもモエの分までお茶をついであげるのね。自分のよりまずモエのを入れてあげて、モエもいつも「ありがとう」って言うんだよね。
今日私はちょうどりょうちんが書いてくれたようなことを考えていたから、「モエはいつもちゃんとありがとうって言ってえらいね」って言ったのよ。
そしたらモエが、「ママもいつもリョウちゃんが新聞取って来てくれるとありがとうって言ってるじゃん」って言ったの。なんか嬉しかった。当たり前のことだけど、当たり前じゃないんだな。

モエが2年生のときの先生のモットーは、「教室は失敗する場所」だったな。りょうちんと似てたかも?


投稿: タケちゃん→りょうちん | 2010年3月18日 (木) 00:18

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