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2011年2月24日 (木)

ついに…

パソコンの調子がおかしかったのを騙し騙し使っていましたが、ついにウンともスンとも言わなくなってしまいました(ToT)

修理に出すのでしばらくお休みします…(っていつものことか)

時々携帯から短い記事を更新するかもしれませんが。

ってか、修理ってどのくらい時間かかるんだろ?

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2011年2月14日 (月)

バレンタイン狂想曲

今日はバレンタインデー。
みなさんは誰かにチョコあげたかな?

私は例年どおり、リョウヘイのヘルパーさんと美容師のたくじぃさんにあげました。ヘルパーさんはチョコレートやスイーツのお店にとても詳しくてグルメなので、毎年悩みます。たくじぃさんは楽しみにして下さっていたようなので、持って行ってよかった(笑)

今年はルタオのショコラ ドゥーブルにしました。

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私は特にチーズケーキ好きというわけではなかったのだけど、朝日新聞の夕刊の「オトコの別腹」というコラムでナカジが紹介していたのをきっかけに、ルタオのチーズケーキをよく買うようになりました。
向井クンもはなまるマーケットの“おめざ”に持って行ったみたいだし、男の人のファンも多いのかな?
北海道から取り寄せることもできますが、時々青葉台やたまプラーザにも出店するので、そういうときに買いに行きます。

ちなみに私はショコラのほうより、ナカジが紹介していた定番のドゥーブル フロマージュのほうが好きかな。


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ナカジはひとりで1ホール食べちゃうらしい。


ところで・・・
バレンタインの「友チョコ」って悪しき風習はいったいいつから始まったのか!?

ここんとこ毎年、モエが友チョコを作るのに付き合わされてとんでもない目に合っていた私。
「友チョコなんてやめなよ」って言っても、「だってみんなくれるからやる!」って言うの。しかも「今年は何人分作るの?」と聞いたら「うーん60人分かな」とのたまうではありませんか!はっ!?60人!?60人って言った!?一瞬耳を疑ったよ。今まで10人分ぐらいであの騒ぎだったのにどうするの!?
近所の友だちの家で、友だちといっしょに作るから、ということだったので、今年はママは絶対タッチしないからね!と何度も言っていたのに・・・。
結局、その友だちのママから「間に合わないからヘルプに来て~」と電話があり行ってみると、ママだけでなくその子のお姉ちゃんまで借り出されていました。生チョコを作ったらしいんだけど、その家のキッチンはチョコまみれで夕食の準備もできないとのこと・・・。
5人がかりでラッピングまで終わらせ、家に帰ったら8時過ぎてて、てっちゃんとリョウヘイがおなかをすかせて待っていました・・・。

自分たちだけでできないようなことをやるな!!!と怒り爆発。
もちろんモエのおこずかいから出させましたが、チョコの材料とかラッピングの材料とかで、お金もすごくかかっちゃってるのです。今朝持って行くのにも「ママ!保冷バッグ出して!」とか大騒ぎ。
せめてクッキーみたいに前もって作れてラッピングや持ち歩きもしやすいものにしたらどうなの・・・。
大荷物で学校行って、あげくの果てに、朝、小田急線の某駅から「モエさんのPASMOをお預かりしています」と電話がありました・・・。大荷物だったから落としたに違いない。
その上、今日帰って来て「地元の友だちの分が足りなくなった!ママどうしよう!?」って。もうママは知らないから自分で考えなさいと言ったものの、地元の友だちのママは私も仲良しだからなぁ・・・。助けてあげないほうが本人のためとわかってはいるのですが、やっぱりもらっておいてあげないのもね・・・と思い、昨日てっちゃんにもらった分があったのでそれをラッピングしてあげました・・・。

もーいや!!!バレンタインなんて大っキライ!!!
ホントに、もう学校で友チョコ禁止にならないかな。
まぁ、もしモエが共学に行ってて好きな男の子にあげるって言うのなら、むしろママのほうが張り切っちゃうかしれないケドね・・・。

そしてこれまた例年どおり、不二家ハートチョコ1コで大喜びのてっちゃん・・・。
てっちゃん、ラクだぜッ!!!






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2011年2月 9日 (水)

“炎のストッパー”津田恒美

お昼に、「DON!」という番組の「きょうは何の日」というコーナーをたまたま見ていました。
2008年の今日2月9日は、かつて広島カープで活躍した津田恒美投手の愛息・大毅君が、父親の恩師である古葉さんのチームに入団した日だそうです。

野球好きの私、津田投手は同年代で、またてっちゃんはカープファンですから、当然彼のことはよく知っています。
津田投手といえば、ストレート勝負が売りのピッチャーで、カープにドラフト1位で入団し、カープ初の最優秀新人賞を獲った、素晴らしいピッチャーです。特にリリーフとして活躍し、力のある直球で打者をねじ伏せるその姿から“炎のストッパー”と呼ばれていました。

しかし、野球選手としては絶頂期の29歳という若さで悪性の脳腫瘍に侵されてしまい、32歳でこの世を去りました。

彼のことは、ドキュメンタリーやドラマとして放送されました。


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↑ 本にもなりました。「最後のストライク」は、奥様が書いた津田投手の闘病記です。

最後まで、もう一度マウンドに上がることを夢見て病気と闘い続けた津田投手と、それを支えた奥様の晃代さん。晃代さんは、夫のために大変な食事療法を行ったりして献身的に看病し、一時は夫を息子の大毅君とキャッチボールができるようになるまでに回復させます。
でも、病魔はそのまま去ってはくれませんでした。


私も、良性とはいえ脳腫瘍になって、この本を何度も読み返しました。
何度読んでも涙が止まらなくなります。
私は、自分が病気になってから、人の運命というものをイヤというほど考えるようになりました。
どうして何の罪もない人が病気になるのだろう?どうして治らない病気があるんだろう?
自分が死ぬなんていうことを、みんな想像すらせずに暮らしています。
でも、もしかしたら明日死の宣告を受けるかもしれない。それは誰にやってきてもおかしくない明日なんです。
だから、今を一生懸命生きなくてはいけないんだって思います。


息子さんの大毅君は、お父さんのようなプロ野球選手を目指し、投手として古葉・元広島カープ監督が率いる東京国際大学に入学しました。しかし、やはりプロの道は険しく・・・。ケガに泣かされ、プロ野球選手の夢は断念しました。今年22歳となり、結婚式場に就職が決まっているそうです。
津田投手はリリーフだったから、たいていは、「自分が抑えれば勝ち、打たれれば負け」という緊張したギリギリの場面で登場します。
そんな緊迫したプレッシャーの中でも負けなかったお父さんから学んだものは、これからの人生に生きてくるはず、というようなことを大毅君は言っていました。


大好きな野球のために、そして愛する家族のために、不屈の精神で最後まで病気と闘った津田投手。

広島市民球場はおととし、新しくMAZDA ZOOM-ZOOMスタジアム広島(新広島市民球場)に生まれ変わりました。
でも、津田投手が空の上からいつでも後輩たちの野球を見られるように、広島市民球場は今もこれからも、屋根のあるドーム球場にはならないそうです。





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2011年2月 8日 (火)

中学受験

今年の中学受験もそろそろ一段落したころでしょうか。
先週は去年のことを思い出してなんとなく胸が痛かったです。イヤ、私、今でもモエの通っていた塾の前を通ると胸が痛いんです。そんな私ってバカ親?と思っていたけど、中学受験を経験した人に言うとみんなそうらしい。
正確に言うと、去年の2月2日午後から4日の午前中までの丸2日は、たぶん大げさじゃなく、ここ数年で一番つらかった時間でした。うん、自分の入院とか手術よりつらかったと思う。夜中に吐いたりしたからね・・・まさやん結婚しても吐かなかったのにね(笑)>ユ・ミョン

なぜそんなにつらいかというと、自分がやることではなく子どもがやることだからなんですね。
自分は何もできないのです。
モエはまだ10歳ちょっとのまさにコドモなのに、どうしてこんなつらいことしなくちゃならないんだろ、どうしてこんなにがんばらなくちゃならないんだろ?って自問自答して、これで努力が報われればまだいいけど、ダメだったら、モエがこれで挫折したら、親のせいだ・・・って思い詰めちゃって(注:御三家とか超難関校とか受けたワケじゃありません、念のため)。
ウチなんて特に、絶対中学受験をする!という確固たる意志もなく、なんとなく見切り発車で始めちゃったし。子どものほうはもちろん受験する意味なんてわからないから、モエみたいな子はただ制服がカワイイとか、学食があるとかそんなことで「受験する!」って決めちゃって。
塾も、お弁当を作らなくていいという理由で決めちゃいました。ホント、真面目なママに言ったら怒られますよね(でも小学生が夜、外でごはんを食べるってどうなの?とは思ってました)。まぁ5年生の途中でお弁当作らなくちゃならなくなって、「話が違うじゃん!」ということになりましたけどね。

塾は子どもにとっては楽しいらしいんです。塾をいやがることは一度もありませんでした。試験前日の1月31日なんか塾から帰って来て「もう塾終わりなんて寂しい・・・」って言って泣いちゃったくらい。モエの塾は成績によってクラスがしょっちゅう変わるってこともないのんびり塾だったから(私にとっては全然のんびりとは思えなかったけど、他の塾からするとのんびりらしい)、3年間ずっと同じクラスで、違う小学校の友だちと仲良しになって、自分の小学校であったイヤなこととかをグチったりしてたみたい。
しかし塾の先生ってすごいね。ただ厳しく教えるだけじゃなくて、ジャニーズやらプロ野球やらの話題で子どもたちを楽しませてもくれるらしい。
先生はそれはそれはプロフェッショナルで、私なんかいっつも「申し訳ありません!成績あげてあげられなくて・・・」って謝られてた(笑)。イヤ、ウチの子ができないだけであって先生のせいではないんだけど・・・。
先生に「モエはけっこう勉強はやってるんですけどテストの点が取れないのは・・・勉強のやり方が悪いんでしょうか?」って聞いたら、
「・・・雑なんですよねぇ・・・」
と、ひとこと。
あぁ・・・そりゃ先生も子どもの性格までは直せないわな!(笑)

モエはとても憧れていた第一志望校に落ちたので、挫折といえば挫折だったのかもしれませんが、子どもってすごいのは、速攻で立ち直っちゃうんですよね。ま、今通ってる第二志望校の一回目の試験に落ちたことのほうが挫折だったんで、第一志望校に落ちたことはもうどうでもよくなっちゃったんでしょう。
あんなに「絶対○○中学!!!」って言ってたくせに、あっという間に今の学校に馴染んでしまいました。
でもね~。親のほうがいつまでも引きずっちゃうんですよね。正直今でも、もちろんモエには悟られないようにしていますが、ココロのどこかで、「もっとこうすればよかった、ああすればよかった・・・」ってちょっとだけ思ってます。
だって・・・男女共学に行かせたかったんだもん(笑)

でも、第一志望校には落ちちゃったけど、一日目落ちて、二日目落ちて、つらくて泣きたくてもうやめたくなって、どこも受からないかもしれないという恐怖が襲ってくる中で、それでもまた翌朝5時に起きて試験を受けに行って最後までがんばって合格をもらったことは、絶対にモエの人生の糧になるのでは・・・と思っています。

昔は、高校受験や大学受験ならわかるけど小学校や中学校の受験なんて子どもがかわいそう!と思ったこともありました。でも勉強以外でも、小さいころからスポーツや芸術に一生懸命打ち込んでいる子どももいます。一流スポーツ選手や一流ミュージシャンになることより、勉強ができる人になることのほうが、はるかに可能性はあります!(それがいいか悪いかは別として)
「勉強する才能」というのもあるとは思いますが、それはスポーツ選手や芸術家が生まれながらに持っている才能とはちょっと違う気がします。「努力は人を裏切らない」という言葉は、「勉強」にもっとも当てはまるのかもしれません(自分と自分の子どものことは棚に上げ・・・)。


私立と公立、どっちがいいとかは言えません。
リョウヘイの中学時代も楽しかったからな~。“地元”の友だちっていうのもいいものだしね・・・。親にとっても、小学校時代のママ友も多くて楽しいし、学校は近いし、懇談会にジーンズでも行けたしね!(笑)
それに比べて今のモエの学校ではママ友もろくにできず・・・。まだ私、本性見せてないし・・・。
・・・まさやんの話、できる人いるのかなぁ・・・・・。





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